「高い高い、日本人の値段が高すぎる‼」

生活と人生

「米」を「人間」に置き換えると、こんな表現になりますね。私たち日本人の主食であり、日本の歴史・文化を象徴する「お米」は、私たち日本人の命そのものだと私は考えています。なので、いまマスメディアの報道を見ていると、「お米が高い」、「高すぎて買えない」というニュアンスばかり。これを見て私は、皮肉っぽい言い方ですが、「日本人の値段が高すぎる。日本人なんだから、もっと安くて良いだろう」というふうに聞こえてしまうんですよね。あまりに情けないじゃありませんか。

そうではなくて、お米の問題は「お米を買えない国民の所得体系の問題」であり、「国民の命をないがしろにする日本の政府の問題」ではないのでしょうか。食料はまさに人間の命そのものですから、「儲かる」とか「儲からない」という価値基準で考えることではありません。

いま、マスメディアの報道ばかり見ていると、「日本人、というか人間の命の尊厳をなんと心得ているか?」と、つい感情が波立ってきます。もといた業界というか、私も報道側にいた経験があるので、マスメディアの人間の気持ちが手に取るようにわかります。ずばり、「他人事(ひとごと)」です。日本の歴史や稲作にかかわる精神性など無関心。とくに今は、私が現役で仕事をしていた時代よりも、感覚がマヒしているのだろうなと思います。

本題は、今年のお米の状況です。マスメディアの報道では、「猛暑や水不足などで、多少不安がある」ぐらいに感じられますが、私の肌感覚で現場の様子を伝えると、昨年に増して収穫量や品質が落ちていると思います。となると、価格が高いのは当然として、そもそも「品不足」で困ったことになりそうな予感がします。

いま、お米の「価格」ばかりに目が行っているわけですが、冒頭で書いた通り、「お米の価格」と「人間の価格」がダブって見えてしまいます。今年の秋は、人間の尊厳を思い出すのか、ただの商品としてとらえ続けるのか、どちらの道を選ぶのか誰にとっても人生の正念場になるような気がします。

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