未来社会へのベースキャンプができました

生活と人生

どんな表現が的確なんだろうな、とつらつら考えていたら、「ベースキャンプ」という言葉が浮かんできました。エベレストやヒマラヤ登山のために設営されたキャンプを意味します。具体的には、頂上を目指す登山者が、ここで装備を整え、気持ちを整えて山頂を目指す拠点だと聞きました。

私たちは、新しい世界、新しい価値観の社会をつくりたいと活動しています。「新しい」というのは、これから生まれてくるすべての子供たちが、「この世界に生まれてきて良かった」と思えるような社会です。漠然とはしていますが、いまの窮屈な社会ではなく、一人ひとりが自由で、楽しく生きることができる社会です。

いまを生きている私たち自身の幸福ではなく、これから生まれてくる子供たちのことだけを考えるというのは、あいまいだし、私の提案に関心を寄せる人はごくわずかです。ただ、私は子供たちの無邪気な笑顔を見たり、笑い声を聞いていると、とても幸せな気持ちになるんですね。そして、少し昔(といっても1万年ぐらい前)を振り返ると、私たち人間のご先祖さまたちは、いつも子孫の幸せを願っていたと伝えられています。人間という生き物は、もともと未来を見て生きてきた存在なのだと理解しています。

実際、私自身の子供のころの記憶ですが、地域の大人たちに、とても大事に育てられました。本当に深く感謝しています。私にとって、それこそが「人間が世代をつないでいくということ」です。なので、いま私が「これから生まれる子供たちの幸せを願い、行動すること」は当然のことですし、だから子供たちの笑顔につながることに人生をかけるのは、私自身の幸せでもあるのだと思います。そんな思いに共感してくれる仲間が少しずつ集まって、新しい社会づくりは始まりました。

ただし、そんな社会をつくるといっても、具体的に何から始めれば良いのか、あれこれ悩みました。実際に福祉や教育、まちづくりなど、いろいろな活動に参加しましたが、どれも思うような成果が得られません。なぜなのか? どこに問題があるのか? 突き詰めてみると、どの分野にも明らかな共通点がありました。それは、みな「食べていくために働いている」ということです。

食べていくためには仕方がない

単純ですが、確かにこれこそが問題の本質だったのだといまは確信しています。いくら未来の子供のためと言っても、「いま食べるもの」がなければ飢え死にするしかありません。そして冷静に社会を見渡して、食べ物に関することに意識を向け始めると、私たちは劣悪な食料しか買えない状況になっていることに気づけました。

「なんだ、それなら食べ物をつくればいいじゃないか‼」

それが、完全な無肥料・無農薬の農作物をつくる研究につながり、いまに至ります。私の研究は野菜だけですので、大根を1億本つくったところで、日本人の胃袋をすべて満たすことはできません。ならば、力を合わせれば良いのです。いま、主食である米、麦、大豆だけでなく、味噌、醤油、各種野菜が「完全な無肥料・無農薬」でそろえることができました。これ以上ない高品質で、1,000年先まで続けられる農産物であり、優れた農業技術です。いまはこれに自然養鶏の鶏と卵も加わっています。

これだけあれば、子供たちを健康に育てることができます。つまり、世代をつなげていくことが可能になったのです。新しい社会づくりを山登りに例えるなら、ようやく5合目に到達したのだと思います。そして、いまここが山頂を目指すためのベースキャンプ。ここでは、だれからも文句のつけようがない食料がそろっています。すべて自然からの恵みの食べ物です。ここを拠点にすれば、教育も医療も福祉も、さまざまな社会インフラ整備も、さらには芸術活動までも、どんな分野も集中して、発展させることができると思います。

食べ物はいま、私たちの活動拠点である栃木県の那須地域に集めてあります。そして、このたび「いざというときの避難場所」として農地付きの古民家を整備することになりました。文字通り「未来社会のためのベースキャンプ」として機能していくことになるでしょう。関心のある方は、どうぞご参集ください。

👉「緊急避難プロジェクト

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