むかし、こんなキャッチコピーが流行ったことがあります。「この商品は美味しいよ」とアピールするためのものでしょう。して、そんなキャッチコピーをひねり出した人々の本当の意図はなにか? 私はそういうことを考えてしまうんですね。
不特定多数の人々に幸せな気分を味わってもらいたい?
たくさん商品を売って利益を得たい?
言葉というのは、その言葉を発した人の「意図」を感じ取ろうとすれば、いろいろな背景が浮かんできます。言葉の意味が1通りしかなければ、だれも苦労はしません。学校では辞書の通りに解釈するよう教えられてきましたが、その辞書にも複数の意味が書かれていたりします。まして、見ず知らずの人が発した言葉の意味は、よくよく注意して受け取ることが、とても大切です。
最近は不景気なので詐欺事件も増えているようです。そんな世相なので、「うまい話は詐欺だ」と即断する人もいると思いますが、うまい話であろうが、厳しい話であろうが、話し手がなにを意図しているのかを的確に知れば、人生はより楽しく、美味しくなるのだと思っています。
話を戻すと、「美味しいものにはワケがある」というキャッチコピーには、明らかに「儲けたい」という売る側の意図がにじみ出ています。その理由は、商品の味付けを支えているのが化学調味料だからです。
この話を掘っていくと、なんだか地獄の底まで到達しそうなので、触りの部分だけ今回は書こうと思います。※「触り」という言葉を「表面的なほんの一部」と解釈するひとが多いようですが、その逆で、「超重要な部分」という意味を表わす言葉です。
2通りの美味しさ
1. 身体が感じる美味しさ
2. 脳が感じる美味しさ
野菜嫌いの子供が多いと言われてずいぶん久しいわけですが、この意味を深く考えた人はあまりいないと思います。野菜嫌いの原因は化学肥料や農薬の多用だと(いまの)私は確信しています。人間は毒かどうかを「美味しさ」で区別していますから、毒だと判断した野菜は「不味い」と言って食べません。自然状態の幼い子供たちはなおさらです。ところが、いまの親たちは、子供に野菜を食べさせるために化学調味料を使い、塩味をきつくして料理してしまいます。
これはかなり昔からのことで、私が子供のころ、母から「栄養を摂るために必要だから、味ではなくて頭で考えて食べなさい」と不味い野菜を無理やり食べさせられていました。素直な私は「そうか、野菜は味ではなくて頭で食べるものなんだ」と思ったものです。ところが、「不味い」という感覚を麻痺させて、逆に「美味しい」と脳に錯覚させる裏技的なアイテム「化学調味料」が登場しました。こうなると「不味い野菜を頭で考えて食べる」どころか、「美味しい」と感じることができる、まさに画期的な調味料でした。さらに、これに「塩」を加えると、人間の脳はこれなしではいられなくなるほど「美味しい」と感じてしまいます。
戦後、食料不足の時代に生まれた化学調味料は、粗末な原料を少しでも美味しく食べられて、しかも重要な栄養素であるアミノ酸も補給できる奇跡の調味料として生まれました。当時は、飢えた日本人を癒してくれる魔法の粉だったわけですが、経済成長で豊かになると、今度は消費者の味覚を麻痺させるために利用されるようになってしまいました。
以前の記事「日本人の味覚崩壊とアレルギー」でも書きましたが、子供たちに化学調味料を多用した食事を与えてしまうと、味覚が麻痺してしまい、大人になっても毒を摂り続けて、アレルギーだけでなく、やがて重い生活習慣病に襲われる可能性も高くなるでしょう。逆に、肥料や農薬を使わない野菜は、とくに幼い子供たちがよく食べます。たぶん、身体の成長に必要だと本能的にわかっているように感じます。
先日、11人目の孫が生まれました。孫の誕生にはとても素晴らしい物語があります。それは機会があれば記事をまとめるつもりです。ひと言で書けば、医療に頼らない自然出産の話です。孫たちは、Halu農園でできる野菜をたっぷり食べて育っています。まだ乳飲み子のときに畑の土を食べ、草を食べ、野菜を土がついたまま口に入れて育っています。ピーマンなど種もヘタも全部そのままもぎって食べています。身体の丈夫さは折り紙付き。子供たちにとって「美味しい」は、間違いなく「身体が喜ぶ美味しさ」なのだと思う日々です。
ということで、ちょっと支離滅裂な話になってしまいましたが、結論は、「子供たちが喜んで食べる食べものをたくさんつくる」という目的のために私たちは全力を注いでいるというお話でした。いまもたくさんの仲間を募集中です。
コメント